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ぷりぷり

日常、外食、旅行、買い物などの日記です。

大事なものができるということ

暮らし

争いの原因のほとんどが「ものごとへの執着」です。戦争も土地や権力への執着から起こるものです。
恋人同士や夫婦の喧嘩ですら「理想の異性像」への執着が原因なのかもしれません。

仏教では人間の理想的な状態(悟りを開いた状態)を「俗世間の束縛や迷いや苦しみから抜け出した状態(解脱)」といっています。
そして「俗世間の迷いや苦しみの原因」となるものは「ものごとへ執着」であるともいっています。
ブッダは、大切な家族への愛情も執着の一つであり、執着は悟りの道への妨げとなるものと考えていたから、自分の子どもにラーフラ(障害)と名付けたのだと聞いたことがあります。

そうなると俗世間に愛欲にまみれた自分なんかは「悟り(つまりは極楽往生)なんてできない」「正しく生きられないから来世は畜生だ」って思ってしまうわけです。
そんなことでみんなが悩んでいるときに、法然上人や親鸞上人が「阿弥陀様を信じていれば極楽に導いてもらえるよ(浄土宗・浄土真宗)」という考えを広めたといいます。仏教が大衆宗教になった一因だと思います。
そういう教えが根付いたからこそ、執着を断ち切ってストイックに生きなくても、みんなが財産(執着)を得るために働いたり、家族(執着)を得るために結婚したりできるわけで、今日の豊かさなのですが・・・

とはいえ、大事なものができると執着が生まれて「失ってしまう怖さ(愛別離苦)」が生じることに変わりはありません。愛を得た時点から苦が始まってしまうのです。
失敗したらどうしようって不安も「成功」に執着しているってことで、行動を起こす時点から苦が始まっているともいえます。

超ネガティブ思考です。

世の中は煩悩だらけ。執着せずには愛することもできないし、頑張ることもできません。
愛が深まれば執着が消えるわけでもないし、成功しても新しい執着が生まれるし、出家以外に執着から逃れる道はないのかもしれません。
南無阿弥陀仏」と唱えたら大丈夫と信じきれないのが現代人。
恋に悩むってそういうことだと思います。行きつく先が地獄でも執着とうまく付き合うしかないのです。