気になって調べた歴史ネタ ~藤原氏のその後的な~
友人との会話の流れで、
「日本一の名家ってどこだろう?」って話題になって、
「皇族を除けば藤原氏じゃね?」ってことでまとまったのですが、
「現在の藤原氏の本家の人って何をしてるんだろう?」とか
「徳川家とか織田家の末裔の話ってよく耳にするけど、藤原氏はそういや聞かないね」と、歴史で習う藤原氏のその後が気になりました。
歴史の授業の範囲では、藤原氏が最後に絡んだ出来事が「保元の乱」だったと思います。
後は、鎌倉幕府の4代将軍を藤原氏から迎えたということも受験勉強の時に知りました。
さすがにそのあとは、日本史の授業で藤原何某を見たことはないし、かといって興福寺や春日大社が残っているのだから、滅亡してるってこともないしと話して、最終的にインターネットに頼ることにしました。
一昔前なら図書館に行かないといけないことが、現在は簡単にインターネットで調べられるので、人文系の知識って頭の中に蓄えておかなくてもいいのかもしれません。
で、調べた結果。
- 院政以降、藤原氏の政治的な影響力はなくなっていった。
- しかし、摂政・関白は役職として残っていた。
- 摂政・関白は藤原氏が就くことが慣例となった。
- 藤原氏は「北家」が嫡流として栄えた。
- 鎌倉時代以降、「北家」は「近衛」「九条」に分立した。
- 「近衛家」から「鷹司家」、「九条家」から「一条家」「二条家」がさらに分立した。
- これらが「五摂家」と呼ばれ、摂政・関白の役職を出す家として決められた。
鎌倉時代以降は「近衛」とか「九条」といった苗字を名乗ったから、「藤原」の歴史上の人物は見られなくなった。
らしいです。
ちなみに豊臣秀吉が関白に就いた際は、「近衛家」の養子になっています。
広義では、豊臣家も藤原氏となるということですかね。
3英傑で、織田信長は平氏、豊臣秀吉は藤原氏、徳川家康は源氏を名乗っています。
それぞれが天下を治める正当性を異にしているのはおもしろいと思いました。